士郎と凛のONE DAY(in 倫敦)  










士郎と凛のONE DAY
(in 倫敦)



― 士郎 ―






 それはいつもと変わらぬ倫敦の午後だった。

 今日は珍しくほぼ同時刻に講議が終るので、

「ハロッズでアフタンヌーン・ティーをしましょう」

 そう言い出したのは遠坂だった。しかし、落ち合うなり、

「ごめん、士郎。論文を一つ提出し忘れちゃった。すぐ出してくるから待っていて」

 遠坂が俺に荷物を押し付けて…返事も待たずに行ってしまった。
 二十歳を過ぎてその美貌にさらに磨きが掛かり、落ち着いた大人の女性となった今でも家系の呪い(?)はしぶといらしい。
 やれやれ…と、うっかりが抜けない遠坂の後ろ姿を見送って俺はベンチに腰をかけた。
 しばらくはぼんやりとただ座っていたのだが、遠坂を待つ手持ち無沙汰に俺は押し付けられていった本を開いた。

?士郎

(…古代ラテン語か――)

 ローマ帝国の公用語であったラテン語は必須言語だが、やっぱり俺は苦手だ。それも古書となると…正直なところチンプンカンプンに近い。
 しかし、『あっさりと降参するんじゃないの!』といつも遠坂に怒られているので、何とか理解しようと読み進めてはみたが…。

(…だめだ、頭が痛くなってくる)

 諦めの境地で顔をあげる。と、少し離れた場所に立ち止まり…こっちをボーっと見ている遠坂がいた。

「遠坂、なんだよ戻ったんなら――」

 声をかければいいのに…と続けようとして――言葉を失う。
 そのまま俺へと歩いてくる遠坂が…目があった瞬間、その表情を綻ばせたからだ。
 頬が朱に染まり口角が上がって笑みを形作るが、それは見慣れた綺麗な微笑みとは少し違う。照れた顔――なのは確かだが、何だか隠れんぼを見つかった子供みたいに見えた。
 元から遠坂は飛び切りの美少女で…それが最近では本当に綺麗な大人の女性だ。だから、そんな風に感じたのを可笑しいと思った。なのに…

「あーあ、見つかっちゃった」

 ペロっと舌を出して―子供のような幼い仕草で――遠坂がそう言った。

「――っ!?」

 それは本当に不意打ちで、全身の血液が一気に燃えたかのように熱くなった。
 頬が赤くなったのが自分でもわかる。遠坂の洗練された容姿と無邪気な仕草と一言――そのアンバランスさが俺を彼女と出逢った頃の―遠坂凛という少女に憧れて、その背に追い付こうとしていた―少年の頃に、一気に引き戻してしまったかのようだった。

「士郎?」

 黙ってしまった俺に、遠坂が怪訝そうに訊いてくる。ストンと隣に腰を下ろし、どうかしたのか…と顔を覗き込んで来る。
 その視線が少し見上げられていることに、少しずつ気持ちが落ち着いてくる。もう俺はあの頃の――無力なだけの俺じゃない。ちゃんと、遠坂の隣を歩いていると言い聞かせる。

「――論文はちゃんと出してきたのか?」

「え? ええ。士郎こそ、大丈夫なの。突然赤く――あ、」

 幼い表情も心配そうにしていたのも束の間だった。

「もしかして…イヤらしいことでも考えてたんでしょう」

 遠坂は“あかいあくま”そのままに、俺をいじろうと仕掛けてきた。昔の俺ならもうここで為す術はないのだが…

「そ、そんなことないぞ。――さ、そろそろ行くか」

 狼狽えてもすぐに立ち直れるぐらいには、俺だって学習した。

「予約も入れてないんだから、早くいかないとな」

 先に立ち、遠坂が立ち上がる手助けにと左手を差し出した。
 倫敦に渡って3年もすれば、さすがに俺だってレディーファーストの文化を嫌というほど叩き込まれる。だからこんな真似も、今では照れずに…自然に出来るようになっている。
 しかし、そんな俺を遠坂は恨めしそうに見上げている。

「………………かったのに…」

 何やら小さく呟いて…遠坂はしばらく動かない。

「遠坂?」

 今度は俺の方がそんな彼女に首を傾げる。だが俺が呼び掛けるとすぐに、遠坂は楽しそうな笑顔を見せた。
 差し出したままの俺の左手に、華奢な…綺麗な白い手を重ねてベンチから立ち上がる。
 二人が並ぶと座っていた時よりもその身長差が歴然とする。遠坂は今では俺より頭一つ分低くて…そのことに彼女を守れるほどには大きくなったのだと…実感する。
 そして遠坂もまた、

「それじゃあ、行きましょうか」

 微笑んで、優しい口調と同じくらいにそっと俺の腕に手を添える。そこには昔のような、こっちの都合もお構いなしに振り回すばかりだった強引さはない。俺に信頼を寄せ、安心して委ねてくれる。そんな気配があった。

士凛

 けれど、

「エスコートはよろしくね、衛宮くん」

 最後にきっちりそう付け足してくるところは…やっぱり昔のままの、俺の良く知っている遠坂だった。だから、

「ああ、遠坂」

 応える俺の頬は少し赤い。遠坂と居て…慣れたつもりでいても、成長したつもりでいても――彼女の何気ない一言や仕草にときめいたり、やり込められてしまう。それはこれからだって変わることはないのだろう。

(かなわないよな――)

 いや、かなう日なんてこないし、俺はそれでいいと思っているんだから…。

 俺の隣に遠坂がいて、遠坂の隣には俺がいる。これからもずっと、変わることなく――。






おわり

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